コラム

死から学ぶ

コラム なかやま : 08/06/24

最近、中国四川大地震や岩手・宮城内陸地震といった災害や
秋葉原の無差別殺傷事件といった事件など、一度にたくさんの身近な人が突然
死ぬといったニュースが多いように思います。

東京に住んでいると、こういった地震や事件に巻き込まれる可能性も
無いわけではなく、もし自分や自分の周りの大切な人達に
テレビなどで報道されているのと同じような別れが訪れたら・・と考えさせられるものです。

こういったニュースを見るたびに昔私の先輩が交通事故で突然亡くなったことを
思い出します。
私はその悲しみの中、人が死ぬってこんなに簡単なものなのか、
生きる死ぬって何なのかを毎日考えていました。

その時私なりに学んだことは、「身の回りにいる大切な人達と明日も会える保証はないんだ」
ということでした。
それから何年か後に父親が脳梗塞で倒れ意識が戻るか分からないと医者に言われたときも
ショックと共に先輩の時と同じ言葉「明日も会える保証はないんだ」が深く心に刻み込まれました。
それからは私の中では、いつも人と合う時は「この人と会えるのも今日が最後かも知れない」
という感覚が強くなりその感覚は今も変わらず心の中にあります。

こういった感覚は別れに対する恐怖心から起こったものなのかもしれませんが
私はこの感覚のおかげで今、目の前にいる人に対して自分なりに後悔がないように
思い残しがないように接するようになりました。
それは私にとって日々の瞬間はかけがえのない時間なんだということを知りましたし
今こうして人と人が向き合うという事は本当はすごい奇跡なんじゃないかなと
思ったりします。
世の中は相変わらす喧嘩や争いの話が絶えませんが、もし今日が人生最後の日だとしたら
果たして喧嘩という形をとるでしょうか。

私は最近のニュースの中で、突然大切な人を亡くした人を見るたびに
今のこの瞬間をもっともっと大切にしなければと思うのです。

告白

コラム なかやま : 04/10/31

◆ 皆さんは初めて好きな人が出来たのは何時ごろだったでしょうか?
覚えている人もいれば、遠い記憶ですっかり忘れてしまって思い出せない人もいるでしょう。
そして皆さんの中でその初恋の人に告白をしたという人は、いったい何人いることでしょう?
実はこの初恋、そして告白をするという体験が今後の人生感を変える大きな出来事だったのです。


◆私の初恋は、小学校の低学年の頃です。
当時の私は、典型的な小学生で好きな子に対しては素直になれず
逆の反応をとってしまい、ついついいじめてしまうという態度をとってしまうのでした。
学校の帰りなどにその子を見つけるとすぐにいたずらをしたりからかったりしたくなり、
からかってしまうのですが、そのたびに素直になれない自分に対して
もどかしい気持を感じながらイライラしてしまうのでした。
そのような子供時代を送った私の性格は、その後の人生で修正されたかというと、けっしてそうではなく
そのままの性格を持ちながら大人になっていったのでした。


◆その後中学高校と体は成長しながらも、その私の性格は変わることはありませんでした。
さすがに大人になるといじめることは無くなったのですが、やはり好きな子に対して目が合えば
そのまま何も言えなくなり固まってしまうようになっていったのでした。
皆さんと同じように私自身の思春期もたくさんの恋をしましたが、その度に自分から言い出せず
そのような私は人を好きになっても結局告白しないので恋は実ることはなく、
それらの恋はいつも幻のように消えていったのでした。
結果、付き合う相手はいつも向こうから告白してくる相手だったのです。
本当に好きな人と付き合えない私の思春期の恋愛は、どこか満たされない思いを
引きずったままの恋愛だったのです。

そしていつしか、いつも実らない恋をしている私は、恋愛だけでなく
人生のあらゆる面で自分を表現することが出来なくなり、その結果自分の心の中で
欲しいものを手に入れることは出来ないといった変な固定概念が生まれるようになったのでした。


◆そんな私もいつのまにか社会人になりそれなりの生活を送っていたのですが
ある時から時々きまった夢を見るようになったのです。
それは、初恋の人が出てくる夢なのです。
内容はあまり覚えてないのですが、とにかくその夢の中では一緒に話をしたり遊んだりしているのです。
そして夢から目覚めた私は、いつも決まって懐かしさとどこか無性に胸が苦しい思いを体験するのでした。
そのような夢を定期的に見るたびに、今あの子はどうしているだろうなと
過去を思い出しては胸が詰まるのでした。
その時は何故そのような夢を繰り返し見るのかは考えもしなかったのですが
ある時から何故このような夢を繰り返し見ては胸が苦しくなるのだろうかと思うようになったのです。


◆ある朝また同じ夢を見たときに、私は自分の気持の中に
「何故同じ夢を繰り返し見るのか原因を知りたい!」と聞いてみました。
10分くらいでしょうか、自分の気持の中から答えや閃きが
現れるのを期待しながら待っていたのですが、その後
結局答えや閃きは何もなく、そのままいつもと同じように
悶々とした気持の中で一日をむかえたのでした。


◆その日の晩、私は出張のマッサージの仕事であるお宅にお邪魔していたのですが、
そこでマッサージをしていたらそこではテレビがついていたのですが、
その番組の声が私の耳に流れてきたのです。
いつもなら番組が流れていてもあまり気にならないのですが
なぜかその番組は吸い込まれるように見入ってしまったのです。
(もちろんマッサージの仕事をしているのですから、手は休めていませんが・・)


◆その番組の内容は、ある人に会いたいという番組で一般の視聴者が応募をし、
その人の会いたがっていた人を番組が捜索をして探し出してくれ、
その人との再開を果たすというものでした。
そしてその番組が私の耳に入ってきた時の内容は、
50歳前後の方だったでしょうか女性の方で、
学生時代から好きだった人に思いを告げられず
その思いをずっと引きずったまま、ついにはその後の人生は
誰とも恋愛が出来ずにいるというものでした。
そしてその女性の方は、もう一度その人に会って
自分の思いを伝えたいというのです。
私はその番組をハラハラしながら見届けていたのです。


◆番組は進行していきます・・。
テレビの力はすごいものです。
番組はその会いたい人を、見つけ出しスタジオに
連れてきているというのです。
しかも、その男性の方はまだ未婚との事です。
その女性の方は、緊張のあまりすぐには対面する勇気が出ず
しばらく動揺してしまう自分の気持を抑えようと
一生懸命でしたが、ついに意を決したのか対面しますと言ったのです。
そしてその方と対面をし、ついには何十年かぶりに
付き合って欲しいと告白をしたのでした。
告白されたその男性の方は「今は結婚はしていないけれども
好きな人がいるので付き合うことは出来ない」と答えました。
番組的にはここで結ばれると良かったのでしょうが・・


◆そして司会者が、気まずそうに女性に今の気持はどうですかと尋ねました。
するとどうでしょう!
その女性の方は、晴れ晴れとした顔で
「今日やっと告白が出来てすごく気持がすっきりしました」
と言ったのです。
もはやその人にとっては付き合えるかどうかは、重要ではなかったのです。
自分の言えなかった気持を言えたことで、その言えた自分に
すっきりしたのです。
私もあぁ良かったなぁと思いながらテレビを見ていたその時です。
突然何処からともなく声が聞こえたのです。
その声はこう言うのです。
「告白しなさい」と・・。


◆この声が聞こえた瞬間、言葉の意味がわからなかったのですが
すぐにこの事は自分の夢と関係あると直感で感じたのでした。
そして何故同じ夢を繰り返し見ていたのか、そしてそのたびに胸が苦しくなっていたのか、
それらの意味が連鎖的に私の中で理解できたのでした。


◆それは自分の気持を正直に出せないでいたあの頃へと
タイムスリップをしたかのような不思議な瞬間でした。
何時しか私はその頃の自分に戻って、その自分になっていました。
好きな子に、好きといえない自分自身にもがき苦しんでいるのです。
何故苦しいの?私はその時の自分自身に問いかけました。
わからない。と答えます。
どうしてわからないの?言えないから苦しいんでしょ?
言いたくない。
何故言いたくないの?
言ってもしょうがない。
どうしてしょうがないの?
どうせ嫌われるから。
どうして嫌われるってわかるの?
わからない。
じゃあ言ってみようよ!
いやだ。
どうして?
恥ずかしい。
何故?
怖いから。・・
このような問いかけを行なっているうちに、子供の頃の私は
告白をする事よりも、告白することで相手に嫌われるんじゃないかという
恐れをもっていることがわかったのでした。


◆フッと我に返った私は、とても胸が苦しくなっていました。
そして、この子供の頃の気持は大人になった今でも同じように
感じていると気づいたのでした。

だからその後の人生、好きな人に中々自分の気持を出すことが出来なったんだと。。
その原因は嫌われるのが怖いからなんだと。。
相手が嫌うかどうかは、言ってみないとわからないのに
勝手に嫌われると想像して言えないんだと。。
素直に言えない自分は、ここから始まったんだ。。と私の
中で次々とわからなかったことの謎が解けたのでした。

謎が解けても、何も解決はしません。
じゃあどうすれば良いか?
答えは簡単でした。
「告白すればいいんだ!」
過去の自分に出来なかった事を、今からやってあげれば良いんだ!


◆そう決心してからの行動は早いものでした。
すぐに名簿を調べ次の日の夜には電話をしたのでした。
電話をする前は緊張しましたが、私はやってから考えるタイプなので
勢いで電話しました。
というより電話しないと何も始まらないし、今までと何も変わることが無いし
胸のつかえも取れないとはっきりわかっていましたので、
ただただ夢中で電話したのでした。


◆実家の電話番号しか知らない私は、今は彼女が何処でどうしているかまったくわかりません・・。
そして電話をして始めに出たのは彼女の母親でした。
私は「・・さん居ますか」と尋ねました。
すると「ちょっと待ってね」と言うのです。
私の胸はドキドキとし始め、先ほどまでの勢いは何処へ行ったのか
生きた心地がしません。


◆そして小学生以来の会話が始まったのでした。
というよりちゃんと話をしたのは、初めてです。
「はいもしもし」と彼女は電話に出てきました。
私は慌てて「・・小学校の中山だけど覚えてる?」と
声が裏返りそうなのを必死に抑えながら尋ねます。
その後しばらくの間がありましたが、
「あ~中山君ね」とようやく思い出してくれたようです。
「何かの勧誘かと思ったわ、ところでどうしたん?
突然電話してきて?」と懐かしい広島弁で彼女は笑いながら尋ねるのです。
私の体は機関車のように蒸気が出ています。
しかしもうどうにも後に引けないし雑談していると自分がこの先どう暴走するかわかりません。
私はいきなり本題に切り出しました。
「実は小学校の時から気になってて、好きと言えずその思いを引きずっていて、
そしてその思いをすっきりさせたくて電話したんだ・・好きです・・」と言いました。
(実際舞い上がってて何を言ったかよく覚えていませんが
このようなことを言ったと思います)


◆彼女もさすがにびっくりしたようですが、「ありがとう」と言ってくれました。
私の方はといいますと、その後すっかり腑抜けになっていました。
と言うより胸のつっかえが無くなって胸の中が空っぽになっているのです。
その後、何分間か思い出話をしましたが、その内容は殆ど覚えていません。
そして電話を切ったのですが、その後私はなんともいえない
今まで感じたことのない爽快な気持になったのです・・。

告白してみてわかったのは、子供の頃に彼女を好きでいた気持ちは
今も好きかというとけっしてそうではなく、その時好きだった気持が
当時のまま大人になっても冷凍保存されたように残っていたのだということです。
そして不思議なことに告白をきっかけに私はその後あの夢を見ることはまったくなくなったのです。


◆このような告白という経験をして私が学んだことは、何よりも自分の気持を出すということが
どれだけ大切か、そのように自分の気持ちを相手に伝えることが実は行動力や決断力を養い、
やがてそれが大きな自信に繋がるのだということを知りました。
それからの私は、言いたいことがズバズバ言えるようになりました。
それと同時に言いたいことを言えるということは自分の気持に正直になるということですので、
それからは欲しいものは手に入らないという固定概念は無くなり
欲しいものは自分でつかめば良いんだ、つまり好きな人には
好きと言って
つかめば良いんだという生き方に変わりました。

皆さんの中でも言いたいことが言えない人は、自分に自信がないと思います。
しかし自分の気持を信じて勇気を出して言ってみてください。
きっと素晴らしい変化を体験できると思います。

勇気を出して・・

コラム なかやま : 04/08/04

告白コラムを読んで告白してみましたと言う方が何人かいられました。
勇気を出して告白してみて、結果はまちまちでしたが
結果よりも自分の気持を出せたということで
皆さんから共通していた第一声は「さっぱりしました」
との言葉でした。
私が見ても明らかに皆さんそれぞれさっぱりした
顔になっていたのが印象的でした。
まるで卵から生まれたてのような新鮮なヒヨコのようです。
気持ちを出すことが、こんなにも人は印象が変わるんだなと
私の方が勉強になりました。
皆さんおめでとうございます!

長嶋さん

コラム なかやま : 04/05/19

長島さんが脳卒中で倒れたと聞き、日本中が驚きとショックを受け、突然起こる病気の怖さに誰もが不安を感じたのではないでしょうか。
私もその話を聞き驚きましたが、それと同時に2年前に父親が同じようにして倒れた時の記憶がよみがえってきました。


◆当時の私はすでにS&Sを開業しており、いつものように施術をしていたのですが、12時ごろでしたかフッと実家に用事を思い出して電話をしてみたところ、妹が出てきて泣いているのです。
私の実家は従業員が二人(一人は妹)の小さな電気屋をやっていたのですが、その妹がパニックになって泣いているので、私は「どうしたの?」と聞きましたら「お父さんがちょっと前に病院に運ばれた」と言うのです。
「何があったの?」と聞くと「よく分からない」というのでとりあえずお店は閉めて病院に行くよう指示しました。
しばらくして私のところへ家族から電話がかかってきて「父さんは脳梗塞らしい、命は大丈夫みたいだけど意識は戻るか分からない」と聞き私の中でショックな気持ちとなんとなくこうなるのではないかと感じていたことが起こり妙に納得したのでした。
2日後に帰るよう切符を手配した私は、父親の近況報告を聞きながら帰る準備を進めましたが帰る前までに父親の意識が回復していきました。
そしてその報告を受けたと同時に、右半身が麻痺して今後どうなるか分からないと告げられました。意識が回復してきた頃の父親は右半身が麻痺しているのでろれつが回らず何を言っているか誰も聞き取れない状況でした。
そんな中私は父親に会いに広島へ帰ったのでした。


◆広島に帰って父親に会ったときにあまりの変わりようにびっくりしました。
脳卒中をやると、顔が一気に年を取ると聞いていたのですが実際父親の顔を見たときに10才は年をとったように感じました。
今までの元気だった頃の面影はなくただただやつれた顔で体も思うようにならず寝たきりの父親の姿がそこにはありました。
私はかわいそうな気持ちと、ショックとで胸が一杯になりましたがなかなか声が出ず始めに出た言葉は、心でかけようと思っていた慰めの言葉とは別の「何しよるんね!心配かけさせてから!」と強い口調になってしまったのです。
父親からは「心配させようおもうとらんよ」とゆっくりと聞き取りにくい言葉が返ってきましたが目に涙をためていたのを覚えています。
その後、父親は危険な時期も過ぎ安定期に入りリハビリをこなす毎日が始まりました。私も東京へ帰り普段の生活に戻りましたが、何故父がこんなことになったのか疑問を抱えてたままに次の連休に入り私はまた実家に帰ったのでした。
そして2度目の父親と会ったときに、前とは違い元気を取り戻した姿に私も一安心したのでした。ただ右半身は全く動かず、しゃべり方もゆっくりとしたままでした。
私は職業柄なのか、少し元気になった父親を見るなりいろいろな質問をしました。
倒れる前はどんなことがあったのか?その頃の心理状態は?
食べものは?
なにか前兆があったかなど、事細かに聞いていったのです。
そしてやはり倒れる前に心理的に心配事やストレス、不安を誰にも話せず一杯抱え込んでいたことが分かったのでした。
病気は偶然に起こらないと思っている私は、追及したい本能がむらむらと沸き起こり、そしてさらに追求していきました。
そして私なりに分かったことは、やはり父親は偶然にこの病気になったのではないということでした。


◆私は父親とは昔から意見が食い違うことが多く、お互いよく腹を立てては言い争いをしたものです。普段はあまりお互いに話をしないのですが、私が帰郷した晩には大体決まって父はまずビールを持ってきて私に話しかけてくるのでした。
最近はどう?みたいな世間話から始まって、次第に日ごろの愚痴へと進展していき、そして酔いも回ってくる頃にはタバコの本数も増え最後には人生論になっていくのです。
人生論になってくると、そろそろ私のストレスも溜まってきておりお互いの意見をぶつけ合うまでに展開していきます。
そして口では私にかなわない父は機嫌を悪くし、もう寝ると言って自分の部屋に帰っていくのでした。
父親は昔からあまり人と腹割って話すことはなく、いつも自分の本音は出さないで自分の中に溜めこむといった性格をしていました。
その長い間溜め込まれたストレスは、久しぶりに帰ってきた私と話す時に一気に爆発するのでした。
一通り溜まっていたものを吐き出すと、父親は自分の人生観を話し始めます。
「自分を犠牲にしてでも世のため人のために生きろよ。人生は我慢の連続だ。
常に損得を考えて行動しろ。人は信用するな。神仏や先祖を大切にしろ。など・・」それらの話を聞いていると私はだんだん胸が苦しくなり、ついには黙って聞いていた私も「なぜ自分の人生自分の好きなように生きてはいけないの?
なぜ自分が我慢する必要があるの?おれは自分のしたいようにして生きるよ!・・」などと始まってしまうのでした。
そして最終的には、お互いが自分の主張したように生きていけばいいと捨て台詞を残して部屋に帰っていくのでした。


◆父が発病してからちょうど半年後の夏休みに私は実家に帰り久しぶりに会った父を見て「どう?良くなった?」と尋ねました。その時父から返ってきた言葉は意外なものでした。
「去年なくなったおばさんいただろ。近所の霊感のあるおばさんに見てもらった所そのおばさんが浮かばれてなくて自分の足を引っ張ってるらしいんだ。供養しないと。」と。
私の心の中からは、「違う!」という声が聞こえたのですがそれで、治ると信じている父に私は従いました。
そしてその夏、供養を行ったのでした。
それから約半月後の正月に私は実家に帰郷してその後父がどの様に変化したか楽しみにして父に言葉をかけたのでした。
「おばさんも供養されたんでしょ、よくなった?」しかし父からは怒りに満ちた言葉が返ってきたのでした。
「おばさんなんか知るもんか。あの世に行ったら怒ってやる!」さらに父の怒りは続きます。
「こんなに先祖を大事にして、神仏も大切にしてきた自分が何でこんな目にあわなきゃいけないんだ!」
「こんなに世のため人のためにに尽くしてきた自分が何でこうならなきゃいけないんだ!神も仏も先祖もあったもんじゃない!元気になったら墓を蹴飛ばしてやる!」と父の怒りは頂点に達しました。
その瞬間、私の中で父の病気が何故起こったのか、どうしてこうなったのかが分かったのでした。


◆何故父は、こんなに人や周りに当り散らすのだろう?
何故こんなに怒りにみちた気持になるのだろう?
私の中でそう問いかけた時に、父親の生き方が私の脳裏によみがえってきたのでした。父はいつも家族や周りの人のために生きていました。
商売のお客さんから電話がかかってきたら、夜であろうとお客さんの所に駆けつけて行って修理したりいつも頼まれたら断れない性格をしていました。
その他、町会の役員、消防団など数々の付き合いにめんどくさいとか言いながら参加してました。
また自分より家族のことを優先していたので、どこに行くにも何を食べるにも家族に合わせるといった性格をしていたのです。神仏や先祖をとても大事にしていました。
毎朝神棚や仏壇に手を合わせ一生懸命頼みごとをしていました。そして私にも一緒にお願いしろとよく言っていました。
そして父は私に「神仏やご先祖を大事にしていればきっと幸せがやってくる。神や仏は自分たちの行ないをちゃんと見ていて、まじめで正直に生きていればきっと後で報われる」と言っていたのでした。
この様に世のため人のために尽くしていれば、きっと後で幸せにしてもらえると信じていた父は見事に病気という形で裏切られたのでした。
しかも半身不随という形で・・。
とてもまじめで一生懸命周りに尽くしていた父がこのような姿になったことに私は一瞬とてもかわいそうな気持になりました。そして、まじめな父はいつも自分の意見はなく、周りの反応によって本人の行動が決まるといった生活をしていたのでした。
この様に父の人生は全て周りのためであって、自分の人生ではなかったのです。
そしてこの生き方が病気という形で体に表現されたことを私は感じたのでした。
人はみんな自分のために生まれてきているのだと私は思います。
そして自分の気持ちのままに行動できた時はとても心地が良く胸がスッとするものです。人生は人や周りのためにあるのではなく、自分のためにあって自分の気持のように動けない時に人はストレスを感じるのです。
体と心は繋がっているとよく言われていますが、ストレスをたくさん抱えていると「自分の気持のように動けてないよ!気づいて!」と心がサインを出します。
そのサインが歪みであったり痛みであったり病気であったりするのです。
父の生き方は、まさに自分の気持にとって我慢の連続でした。
自分の気持ちは、いつも後回しです。
後回しどころか、聞いてはいません。
その我慢のストレスが溜まりに溜まって、吐き出さないと苦しくなってくるのです。それが愚痴や人のせいや、悪口を言うことでストレスを小出しにしていたのです。しかしそれでも出し切れないで溜まってしまい、ついには半身不随という形でサインが送られたのです。
つまり、父はいつも自分の気持で生きれなかった、動けなかった。
その心が動けないという状態が、体に写ったのです。
体が動かなくなったのです。


◆自分が動けなくなると、人のことなど構っていられません。自分の面倒を見ることで精一杯です。
そして動けないことで前よりもっと自分の気持を感じたり考えたりする時間が与えられます。
そのようにして、父は自分で病気になり自分で自分のバランスを取り戻そうとしているのだなと私の中で感じたのでした。
それに気づいた私は、父にこのことを伝えました。
「病気は自分で作っているんだよ。神仏や先祖はちゃんといると思うけど神や先祖は助けてくれないよ。幸せにはしてくれないよ。なぜならもし神や先祖が助けてくれるのだとしたら人生は神や先祖によって動かされることになるから自分の人生じゃなくなるよね。でもちゃんと感情や気持があってその気持のようにできたときには嬉しいよね。楽しいよね。自分が生きてるって感じるよね。
自分の人生自分のやりたいように生きれた時に、生きがいを感じるんだよね。もし神や先祖が幸せにしてくれたとしても、自分の力で動いてないから空しいよね。父さんは自分の気持で動けなかったから体が動けなくなったんだね。家族や周りの事はいいから、これからは自分の気持で生きていこうよ。
そうしないと体はいつまでたっても動かないよ。自分がそのことに気づいて自分の気持が自由に動けるようになった時に、体も自由に動けるようになるよ。」といいました。
父は涙を浮かべながら、「そう思う。これからは自分のためいきるよ。」と言ったのでした。
それから約2年経ちましたが、今は父は「前よりは自分のために生きて要られるようになった。」といっています。
そして体も徐々に動くようになり、今ではフラフラではありますが歩く事ができ、肩も少し動くようにまでなっています。
長島さんも周りに気を使い過ぎいつしか自分の気持ちを忘れてしまい動けなくなったのではないかと思います。
私は父を通して、病気に対しての見る角度が変わりました。どんな病気も、偶然に起こるのではなく原因があると思います。そのような方面からも皆様をサポートできるよう研究を進めていきたいと思っています。

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